20日目(バンコク→上海→名古屋)

さて、およそ3週間の旅も終わりが見えてきた。この日は始発のメトロで空港へ向かわねばならない。腹が減ったので出発前にコンビニへ行ってミルクを飲んだ。その後、ルームメイトを起こさないように気をつけながら身支度をしてメトロの駅へ向かう。メトロからエアポートラインへの乗り換えも問題なくでき、空港に着いた。ここまでくれば、途中上海でトランスファーがあったがバンコクとのあまりの気温差に驚いた。財布を見ると60元ほど中国元があったので58元のランチをとった。サービス料が加算されたらやだなあと思っていたがそうしたものはなく、中国元についてはほぼ使い切ることができた。上海の空港には半袖でいた上、上着という上着は全て預け荷物に入れてしまっていた私は2時間のトランスファーの間、凍え続けた。周りの人は10度を切る気温の中、半袖で凍えている私は滑稽に見えただろう。そしてまた飛行機に乗り、名古屋へ。これまででした旅の中で一番長い旅であったが不思議とやっと帰ってきたという感覚にはならなかった。おそらくタイの居心地が良く日本と同じような安心感があったのもその原因の一つであろう。

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19日目(パタヤ→バンコク)

朝起きるとすぐにチェックアウトして車でバンコクへ戻る。この日は午前中はカオサン通りをぶらつきたかったので友人とは別行動に。ただ、3月とはいえ、日中のバンコクの気温は日本人には辛い。街中にはチャイナタウンがあったり(銀行ではなく金行というのがあって気になった)、多くのマーケットが路上で開催されていた。私はもともとワイヤレスのイヤホンを買いたかったのでカオサン通りで物色し、購入してホテルへ戻った。この二日間、私はこのバンコクのホテルを使っていなかったことになる。ただドミトリーなので一泊700円で大きな荷物を預かってもらえたと思えば高くはない。チェックアウトしてシーロムの方の宿に移り、また街中を歩き始める(一体どれだけ歩くのが好きなのかと思われそうだが、私の旅はとにかく歩くのである)。友人とはワットアルンで待ち合わせをしていたので、そこへ向かう。道に迷い、また歩いていくのでは時間がかかりそうなので途中タクシーを拾うと最初に600円と言われたが450円に交渉して私が納得してからタクシーは発進した。タイにしては高いと感じる読者もいるかもしれないが私はワットアルンの目の前まで行ってくれると思っていたのだ。ワットアルンに行くには河を渡る必要があり、その橋はその場所からは遠いところにあった。当然私はワットアルンの目の前まで行ってくれると思っていた。しかし、ドライバーは3分ほど走ってワットアルンの対岸のフェリー乗り場で車を停めた。この距離で450円は高過ぎる。あまりのぼったくりだったのでドライバーには70円ほど渡し、これ以上絶対に払わない、お前は450円に見合う距離を走っていない。と言い切ってタクシーを降りた。日本人にとってたいしたお金でないとしてもやはりそういうところはなめられるのは私は嫌いである。

フェリーで行ったワットアルンで友人と合流し、ワットアルンを見学し、その後パンケーキを食べに行くためにフェリーで再度移動。その後バンコクで一番大規模なナイトマーケットである、チャットチャックへ行く。タイパンツを買って満足。このころ、少し体調が悪かったのでおとなしく10時くらいに宿に戻って寝る。この日のルームメイトはカンボジアから手術のためにタイに来たという男性。私が元気ならもっと話したかった があまり元気がなかった。

18日目(バンコク→パタヤ)

カオサン通りから極近いドミトリーのベッドで目を覚ますと、シーロム通りの方へと移動を開始する。同級生と合流し、その友人であるタイ人に車でパタヤに連れて行ってもらうためである。普通はメトロあるいはタクシーで行く距離であるし、バンコクとはいえ、運賃などたいした額にはならないのに、なぜかメトロさえもなるべく使いたくないと思い、1時間近く歩いた末にメトロの乗り換え駅からメトロに乗った。おそらく本当に財布が底を尽きてきたのを感じていたからというのと早朝ならば気温的にも歩けるのでそうした時間にバンコクの空気を歩いて感じたいと思ったからである。到着が若干遅くなってしまったが無事に着くことができ、合流。ここからパタヤまでは車で2時間ほどの距離にある。まずは大学へ向かって他のタイ人も合流し、また、空港で同級生をピックアップしてパタヤへ向かった。途中昼食としてフォーを食べたが、シンプルで美味しい味であった。

パタヤへ着くと本当にリゾート感あふれる土地であることに驚いた。いたるところに欧米人、透き通った海。ホテルへ荷物を置くと、すぐにビーチへ向かった。あまりに暑いのでマックでソフトクリームを買ってみる。わずか70円くらい。まあこの商品に関しては日本でもまあまあ安いけれども。蛇足だがマックのソフトクリームの味はどこでも同じと思っていたが違っていた。ベトナムのソフトクリームはものすごくチープな味なのだ。ミルク感がないというか、ファミリーアイスの味である。今回の旅でいえばベトナムだけであったが明らかにソフトクリームは美味しくなかった。またベトナムのミニストップも同様の味である。ベトナム人がその味を好んでそうなっている可能性もある。

さて、海岸沿いを歩き、インスタ映えする写真を撮れたところで友人と合流してセントラルパタヤへ。私はスーパーマーケットに行って、ドライマンゴーを買った。

その後夕食はビュッフェ形式のところへ行き、帰りはタイ人にホテルまでタイ人に車で送ってもらった。12時近くからナイトストリートというアダルティなストリートへ繰り出し、クラブでビールを一杯飲んで帰った。パタヤのナイトストリートは有名なので是非とも一度行ってみるといいと思う。

17日目(シェムリアップ→バンコク)

いよいよ旅立ちの日である。7時半出発のバスに乗り込むため、ホームステイを出たのは6:30。朝どんなに眠くてもサムは来てくれるし、ホームステイのホストとその子供も見送ってくれた。せっかくなのでホームステイの前で写真を撮り、トゥクトゥクに乗り込む。もうここにこないかもしれないという思い、また来たいという思い、さまざまなものが重なっていたが今はバンコクを目指していく。バス停でサムにチップを含んだお金を渡し、お礼をいい、写真を撮り、別れた。一期一会だなあ。バス停で待っていると時間を少し過ぎてバスはやって来た。見事に欧米人ばかりだ。ここからカンボジアタイの国境まで3時間半ほどバスに揺られることになる。

国境は大変であった。まずタイへの入国カードを記入する。カンボジアの出国カードは入国時に記入済みだから大丈夫だろうとバスのみんなが向かう方向へついて二階へ上がるとイミグレであった。よっし今回の国境越えは余裕だなと高を括るっていたが1時間並んで検問官に一式の書類を出すとアウト!お前はカンボジアの出国印鑑がないからそれをまず入手せよ!とのこと!みんなどこでそんなんもらってたの??とか思ったのはだいぶん後でこの時はとにかくパニック!1時間並んでダメで今からスタンプもらいに行くだけでどれだけかかるかわからないのにそのあと1時間またここで並ぶの!?バスは待ってくれるの!?と。おそらく真っ青な顔で外へ出ると待ち構えたように声をかけてくるやつがいる。普段なら絶対無視するけどこの時ばかりは情報が欲しかったため、また動揺し過ぎていたため、口を開いて状況を伝えると付いて来いと言われた。とりあえず付いていくとバイクに乗った男が現れ、俺がスタンプをもらってやるからパスポートを出せ!と言ってきた。は!?、なんだこいつ。信用できるわけない。だが私も同様の最中だ。言われた通りパスポートを預けると10分で戻るといい、バイクで走り去った。その後他の男が手数料が10ドルかかるといい始める。この辺りから私はイライラしてくる。そんなスタンプが必要なら何故そこを通らないとタイのイミグレに行けないようにしておいてくれないのだ。ふざけるな。10ドルが騙し取られたことは後からわかったことだがとにかく私はバスに置いていかれてしまうリスクがあることにイライラして机を叩き始める。ただちゃんとパスポートはスタンプを押した状態で帰ってきた。この10分間でカンボジア出国にお金が必要ないことを調べ上げた私はますますイライラ、パスポートをひったくると、イミグレへ向かう。男が一人追っかけてきてチップ、、と言ってきたのでくたばれと呟いてイミグレに中へ。今度は30分くらいで無事通過する。バスの他の客も同じようにスタンプがなくてはじかれた人がいたようで(その人たちは自分で窓口を見つけて無料でスタンプをもらっていたが)ひとまず安心した。無事イミグレを通過し、バスに乗れた。陸路の国境越えはろくなことがないなあ。

16日目(シェムリアップ)

この日は朝はそこまで早くなく、8時にホームステイを出発した。いつものようにトゥクトゥクにゆられつつもこの日は長い距離を走る。ベンメリアまでの2時間の道のりは砂ぼこりと、大きなトラックが抜かしていくときのクラクションの大きさとトゥクトゥク独特の揺れ、そして何より日中の気温の高さを実感するものとなった。

ベンメリアに着くともう10時過ぎだった。ベンメリア独特の樹木の力強さは素晴らしかったが、やはりアンコールワットの方が感動は強かった。それは暑さの印象が強く残りすぎたせいでもあるだろう。

見学を終え、サムにご飯行きたいと言うとここで食べて行った方がいいと言われ、ベンメリアエントランス付近のレストランでカンボジアカレーを頂いた。からさやくせのない、美味しいカレーだった。

帰り道は俺のお勧めがあるんだけど、とサムが言うのでお任せした。相変わらず暑いが見学を終えた達成感に浸っていたため、トゥクトゥク乗車中の風はとても心地よく感じた。車はアブラヤシの畑をサイドに駆け抜けて行く(いや実際は凸凹道路なので軽快な感じではないのだが)。また途中日本語学校があったり、サムの家に行って家族に挨拶したり(言葉は通じなかったがなんだか温かい気持ちになった)。この時サムの家のマンゴーを二つもらったのだが結局うまく管理できず腐らせてしまった。

その後は戦争ミュージアムに連れて行ってもらった。ガイドはいなかったが欧米人のガイドにくっついて話を聞くことができた。地雷とか戦車とか機関銃の本物を見てやはりこの地もつい最近まで戦場であったことを実感する。この日はこのまま帰った。帰ると6時くらいかな、もう実は暗くなりかけていた。

この日の夕食は初日と同じブレッディというオーストラリアに住むニュージーランド人とその母親、オーストラリア人の20歳のイケメンと一緒だった。

15日目(シェムリアップ)

この日の朝は早かった。アンコールワット遺跡群を訪問するためだ。3:30に起きて準備をして4:30にはホームステイ先を出発した。5:10過ぎにチケット売り場に到着し、35ドルで一日入場券を買うとまたトゥクトゥクに乗り込み、アンコールワットへ。朝日を見るために多くの観光客がいた。湖の前のベストスポットにはすでに多くの人がいたので少し離れて眺めることに。ただ、雲が多くてなんだか怪しい。日の出の瞬間は見れなかったが、その少し後の昇り出しは綺麗に見えた。

そのあと内部の見学へ。多くのレリーフが印象的であった。予め勉強してなかったので仏教由来の仏像とヒンドゥー教っぽいレリーフが混在する空間に違和感を覚えた。

後から調べると仏教とヒンドゥー教が入れ替わり信仰されていたらしい。

3時間ほど内部を回覧すると、もう疲れが溜まりきっているのを感じた。外に出てココナッツジュースを飲むと元気になった気がしてまた歩み始める。この時9時であった。

トゥクトゥクに戻るとすぐにアンコールトムに連れて行ってくれた。アンコールトムは複数の遺跡群からなる。これまた一つ一つ見て行くと膨大な移動量と時間がかかるし更には日も昇り始めて気温もかなり上がっている。

アンコールトムの遺跡群は計6つ。最初は写真をたくさん撮る余裕があったが途中から暑さで意識が朦朧とする。さらに遺跡の中には急勾配を階段で上り下りせねばならず、緊張感もある。

途中カンボジアの高校生と名乗る男性が寄ってきて、案内してくれた。無料でやってくれるのかなと思っていたら、案の定最後にカンボジアの教育情勢について語られ、名簿にサインして寄付してくれと言ってきた。

14日目(ホーチミン→シェムリアップ)

最近よくわからないがうなされる夢をよく見る。この日はドミトリーで朝をむかえた。宿でじっとしていても時間がもったいないのでバイクタクシーでサイゴン川の方へ。ミュージアムに入った。そこにはお札に描かれている顔が絵としてたくさん展示されていた。名前を何というのか気になったが英語ではどれもThe president of Vietnamとなっており、よくわからなかった。ホーチミンはとにかく暑い。